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[ 空間デザイナー ヤマザキミノリさんに聞く] -東久方ノコギリ屋根工房に入居- 「子供のころから虚の空間に興味」-デザインの切り口とアートの切り口 -空間デザインというのはどんな仕事ですか。 ヤマザキ 従来の美術の実空間に対して、建築家とインテリア・デザイナーしか扱わかった虚の空間を、積極的にメディアとして取り組んでいきます。最初はのぞきからくり、万華鏡のようなものを作っていたんです。中に虚の空間が広がるわけですが、それをもっと拡大して、みんなで見られるとか、空間の中に人が入れるようになったらいいとか、だんだん作品が大型化していったわけです。 -現代美術のインスタレーションとは違うんでしょうか。 ヤマザキ デザインは構築的な仕事で、条件に沿って色と形と空間で最適な回答を出していく。しかし感動には別の次元のブラスアルファが必要。その部分はアートのほうかなと。両方の力が重なってはじめてインパクトのある、何かが伝わる作品ができる。特に空間の仕事というのは、イベントにしても、予算額やかかわるスタッフも大きいし、施主はある要求のレベルがある。そういう条件を満たすのがデザインの切り口で、お客さんに何かを受け取って帰ってもらうのはアートの切り口。一人で両方のスタンスをもたないと成り立たない。 -これまでの美術やデザインの用語ではくくれないですね。 ヤマサキ 考きてみると、僕の子どものころおまつりの七夕祭りはもっと派手で、三丁目あたりにはカラクリがあって、大きな人形が動くような仕掛けがあった。そういうのは僕が現時点でやっているような仕掛けとあまり変わらないんじゃないかと思います。 -えびす講も幼時体験として影響受けだそうですね。芸大で工芸科だったのは。 ヤマザキ 逃げの一手ですよ。父も兄も群大工学部を出たエンジニアで、理科系に行くのが当然という家系。それが受験勉強で挫折していた時期があって、数学や物理の授業は落書きぱかりしていた。いけないといわれれぱいわれるほど、精密な落書きをしたりして。はたと思い付いて、どうしても落書きをしちゃうんなら、そっちに進めぱいいと。一挙に目の前が開けました。芸大は実技重視だし、国立で数学の試験がないのは工芸科だけだったんです。 -そこでの勉強は役立っていますか。 ヤマサキ 僕には伝統工芸の土壌はないし、作品ができる時間軸も現代生活とあまりにかけ離れていて、意志がもたない。いい作品ができても、国立博物館にあるもののほうが圧劇的だし。溶けた金属を土間にぷちまけたり、蒸気がパーツと上がったり、そういう現象を見たり写真に撮るほうがすっとおもしろかった。やはり子どものころから「虚」の空間に興味が続いていたんでしょう。ただ造形の基礎体力をつけ、素材がもつエネルギーを知るいい経験になりました。デザインワークをする上でも、実在のリアルな体験がバックボーンにあると違うと思う。 -娘さん三人の誕生に立ち会われたのも、そういうリアルな体験を求めてでしょうか。 ヤマサキ 人間が出て来る瞬間なんてそう見られるわけじゃないから、最初は興味津々。ラマーズ法は共同作業で、いろいろやることがあるんです。鏡を使ってフィードハック装置をつくったのは役立ちましたね。行きつ戻りつ、ほんとうに赤ちゃんが出て来る、父親は実感をもちにくいですが、リアリティーを感じました。 -これから桐生と相模原、往復しながら活動していくことに、どんな期待がありますか。 ヤマザキ 120kmくらい距離がありますが、行ったり来たりして仕事している人は多いし、コンピューター関係の環境は同じにして、通信でつなぎたい。インターネットもやりたい。ここは天高があるし、北窓でアトリエ向き。驚いたのは薄いピンクの壁です。ボストンのイザベラ・ガードナー美術館、イタリアの宮殿風建築で、中庭を四層の建物で囲っていて、上から光が入ってくる。感動して二時間も立ちすぐんでいた。初めてのことで、忘れられない。その壁の色がここに似ているんです。前の保育園から聞こえてくる子どもたちの声も、何ともいいBGMになる。そう、子どもたちにもぜひ見に来てほし、いですね。 -工房推進協議会には産業振興への期待もあるようです。 ヤマザキ 産業は構造不況の真っただ中で、転換のためにアートやデザインなどに期待されるんでしょうが、難しいことですね。少しでも力になれたら大変なことですが、まずは自分の表現を一生懸命追求して、見てもらうしかない。それが結果として活性化に役立っていけばいいですけれど。 −ヤマザキさんの空間婆置に包まれることが現代のおまつりとなれぱ、元気になり、生きる力をもらえる。四日のアトリエ開放に、まずは期待したいです。 ヤマサキミノリさん 一九五四年桐生市生まれ。桐高から東京芸大工芸科に進み、大学院で構成デザインを専攻。 1998年3月まで東京工芸大学芸術学部助教授。 人と宇宙をつらぬくマクロとミクロの無限円環を装置化すべく、幅広い創作活動を展開。 92年〜94年には桐生テキスタイル・プロモーション・ショーの空間デザインを手掛けた。 東久方町二丁目のノコギリ屋根工房に入居、四日のアトリエ披露は夜の方が見ごろということだ。
2004年現在: 有限会社オリジンネット代表取締役 http://www.orijin.net |
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